ホットケーキの匂いがすき。ぬくもりがあるから。
もっと自分の体をいきいきさせてあげよう。いたわり水をやるのはじぶん。
”温かさ” はお金で買えないから、 持っておきたいし、あげたいな。
テレビで目にする闘いながら生きている他人を見て、我が身を振り返る。そんな現実的な瞬間が誰にでもあるだろう。目的を持って、暮らしていきたい。
この先、人々がコンピューター画面に向かうことは増え続けるだろう。 年数とともに増え続けることがないとすれば、ぞっとしてしまうな。
言葉を発する人は可能性を信じてる人だな。
自らの意欲に感謝をもらう。それは与えられているもの。 健全な身体心がないとつくれない。コントロールするのは自分。
こころの変化は繊細。安心を与えるって大切だなぁ。
スタートはふり返りとなってゆき、ふり返りスタートが始まる。
あなたとわたし。そして世界とまわり。広く見渡す、世界広がる。
有益に生きよう。ふとそういう気持ちがわいてくることがある。
いくら失望しても最後に話したいのは真理。 それは希望ではなく、絶対的な真理である。 いつか響くかもしれない可能性とも呼べるかもしれない。
本音を隠して鋭利に尖った言葉は、言葉として相手を傷つけてしまう。 たいへん危険である。その間には何も生まれないから。そして自分も傷ついてしまうから。
もどかしさは、エネルギー。自分を見つめて 消化する。
作品の余韻は、新しい世界との地下通路となる。
みんなの流したつらい泪を合わせたら、何ができるだろう。
やわらかい心は人とのあいだで生まれるものなんだね。 それは心で受けとるもの。 人は再発見しながら生きる。
自分が掴めないときは、ひとつひとつ自立していくべき。 かもしれない。
NOな言葉がある。自分の中で、NOな表現。 他人を通して感じるNOな言葉。 つまり受け付けない言葉。 その感覚は絶対に大切にすべきだ。
一般的に、価値観という言葉は浸透したが、思想という言葉についてはまだまだ化石だ。
常に新しい波を望んでいるので、NEW WAVEという言葉は自分のものだ。
ライバルがいると仮定して、がんばるしかない。
こころの豊かさを生むのはこころのゆとりである。ゆとり次第で人はやさしくなることができる。ゆとりがなければやわらかさは臆面に。では本来は。
全ては眼に現われる。
他人と違う部分は消さずに灯そう。
目指すところのない批判は、根なし草。
他人から平面な誤解を招いたとき、自分の思考ロジックを全て見せたくなるときがある。けれどその多面の思考を伝えるために用いるものは言葉しかない。変換不足の言葉たちが集まったまま、本来の行き場を求めている。
本物はひとつしかない。
人は変わってしまうし、流されてしまう。その原因が不条理だということが悲しい。空間の停滞を感じるひととき。
影のようにいつもいるブルー。表面に出て思い出す影。